10
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
<< >>

スポンサーサイト

--
--/--
*--*
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

オークランド大学図書館で至福の時間を過ごす。

2009
06/06
*Sat*
オークランド大学の図書館には、アジア書籍のコーナーがあって、日本語、中国語、韓国語の本がわんさかとある。

オークランド図書館にだって、(オークランド留学センターにだって)日本語の本はたくさんあるが、大学の図書館となると、その蔵書数も違うし、種類も違う。
日本語に関する資料はもとより、歴史、文化、経済、文学、など様々な分野を網羅している。
日本書紀だとか、近松全集だとか、文藝春秋バックナンバーだとか、手塚治虫全集だとか、近代映画とか、イミダスだとか、森鴎外全集だとか、、、。

本好きの人間には究極至極のスペースである。

当然、大学の施設ゆえ、大学生しか利用することの出来ないものだが、な~に、本を読むくらいなら、一般ピープルだってかまいやせぬ。 と勝手な理屈を抜かして、週末も開いている図書館に潜り込み、至福の数時間。。

そんな中で見つけた、日本食を語るうえで、欠かすことの出来ない「ラーメン」と「カレーライス」に関する雑学書。


ラーメン


本の後半は、各地のラーメン紹介で全くもってつまんないのだが、ラーメンが日本に伝わった歴史を検証しているのがおもろしい。

その中でも『ラーメン』という言葉が作られた経緯を読むと、ほほぉっと思わず微笑んでしまう。

大正10年、北海道大学正門前の写真館が「竹家食堂」に変わって開業した。主人の大久昌治さんは宮城県の出身だが北海道に渡り、国鉄職員~警察官~豆の栽培~鉛筆の袖木製造~菓子販売と苦労をかさねたあと、札幌に出て写真館を始めたのだった。その後、奥さんのタツさんが作る親子丼やカレーライスを出す平凡な店に変わったが、中国人留学生が出入りするようになって一息つくことが出来た。当時、北大には180人の留学生がいたという。

そんなある日、旧知の船員が王文彩という中国人コックをともななって店にあらわれた。山東省の出身で、ロシア沿海の街で食堂を経営していたこともあるという。王さんのコックとしての腕がただならぬものを見抜いた大久さんは、彼を雇い入れたうえ、店も「支那料理 竹家」と看板をあらためた。
留学生の出入りが多くなったのはもちろんだが、教授、学生も常連客になり、札幌鉄道局の職員もひいきにするようになった。

王さんの料理で人気のあったのが、糸切り豚肉を揚げたものをトッピングした”支那そば”。麺は鹹水の変わりに炭酸ソーダを使って(鹹水が入手できなかったため)、スープは鶏ガラをベースにした塩味。店に来る日本人は「チャンコロソバをくれ。」と言うのである。「チャンコロ」とは当時中国人に対する最大の蔑称であった。心が痛む。日本人も客、中国人も客である以上、ここは知恵を働かせるしかない。奥さんのタツは店の前にある柳の木を眺めながら、葉と麺状が似ていることから、「柳麺」(りゅうめん)と名付けたが、定着しない。

次に王さんが、料理が出来たときにホールに向かって、「好了(ハオラー)」と「ラー」にアクセントをつける大声が気になりだした。日本語の出来ない王さんは一日中「ラー」「ラー」と言ってるようだった。「そうだ『ラーメン』ではどうか。」と、通訳の意見も取り入れ、「拉麺」とメニューを書き換えてみた。しかし、相変わらず客の注文は「チャンコロソバ」である。昌治さんのアイデアで、「カタカナ表記」にして『ラーメン』とすると、客はやっとその名になじんでくれるようになった。

これが、日本で出される中華そば『ラーメン』の語源だそうだ。



カレー


こっちはカレーライスの誕生秘話。

本場インドとはまったく異なる形状のカレーがどうやって日本に根付いたのか、ということを検証しているまったりとした本だ。

今ではあたりまえに存在している「たまねぎ、にんじん、じゃがいも」というカレーに欠かせない野菜も、文明開化の時代に日本にやってきた食べ物で、庶民の食卓に届くにはしばらくの時間がかかっていたようで、最初の頃は日本にやってくる外国人に売るために栽培をしていた。

「カレー」という言葉を初めて日本に紹介したのは福沢諭吉。アメリカ視察団に選ばれた諭吉がサンフランシスコの本屋で、華英辞書を見つけ、それを日本語に訳した際に、Curryという言葉があって、「コルリ」と訳した。オランダ語専門の彼が必死で英語を勉強して辞書の翻訳をおこなってる段階で、カレーとはなにかを知っていたかどうかは明らかではないが、文字に書かれた日本最古のカレー資料なんですって。
ちなみに福沢諭吉は、英語を日本語に訳す際、当時の日本にはなかった概念(例えば「自由」)や動作(「演説」とか)を作りあげた、翻訳フロンティア人です。アメリカ独立宣言も翻訳してます。(こちら

この人は結局はカレーライスを食べたのかな?




こういうことを静かな図書館でパラパラと読んで、1人でにやにや。




スポンサーサイト

COMMENT

Comment Form


秘密にする
 

TRACKBACK

TrackBack List



プロフィール

Toshi

Author:Toshi
旅行の仕事で世界をまわるうちに、海外に住みたいという思いを募らせ、2001年に家族とともにNZに移住。ワーホリサポートエージェント勤務を経て、2005年独立してオークランド留学センターを設立。
海外添乗、海外移住、海外起業、、、、若い頃には思ってもなかった人生を歩んでいます。
海外でのビジネスは、山あり、谷ありだけど、家族や友人に支えられてまだまだ頑張ります☆
今年も「開花」を目指してポジティブに頑張ります。



最近の記事



最近のコメント



FC2ブックマークに追加する

FC2ブックマークに追加



FC2カウンター



月別アーカイブ



リンク

このブログをリンクに追加する



Twitter



ブログ内検索



RSSフィード



Copyright © NZの話 Late for the sky All Rights Reserved.
テンプレート配布者: サリイ   素材: ふるるか  ・・・ 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。