06
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
<< >>

スポンサーサイト

--
--/--
*--*
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

空港にて

2007
03/05
*Mon*
2月、3月は春休みということもあって、短期のお客様が増えるシーズンだ。

そのお陰で、ここのところ、ほぼ週末毎にお客様の出迎えで空港に通っている。
年間を通しても、おそらく70回以上は空港に行ってるのではないだろうか。
これだけ頻繁に空港に行ってると、いくつかのパターンというものが見えてくる。

例えば、到着ロビーに出て来るアジア人が、何処の国から来た人か?

日本人を見つけるのはスーツケースを見ればいい。サムソナイトに代表される
ハードカバーの立派なスーツケースを持っている。
荷物カートにカバンと一緒に段ボール箱を運んでいる人や、
ちびまる子ちゃんのお母さんのようなパーマ頭の中年女性は韓国人。
やけに派手目で肌の露出度の高い服を着てる女の子や、
麻袋がスーツケース代わりのおじさんは中国人。

その他、ゲイカップルかどうか、パシフィック系の家族愛がどれだけ強いか、
息子夫婦を出迎える老夫婦のぎくしゃく感、なんてのも、なんとなく分かるようになってくるから、
おもしろいものだ。


遠い土地からやってくる人、故郷に帰る人、まだ見ぬ土地に出かける人。
空港はいつも「非日常」の時間を過ごす人で溢れている。


さて、人の往来の激しいオークランド空港だが、ターミナルを出ると
女性の銅像が建っていることに気がつく人も多いだろう。
Jean Batten

Jean Gardner Batten


ニュージーランドの航空業界のことを語る上で、欠かせない人物で
空港ターミナルの中にも、彼女の業績を讃えたコーナーがあるし、
空港近くには、彼女の名前が付けられた小学校まである。

彼女のヒストリーを拾ってみるとこんな感じだ。



1909年、ロトルアに生まれたJeanは20歳の時、将来パイロットになるという夢を持つきっかけとなったオーストラリア出身の男性と知り合う。 Charles Kinsford Smith イギリスからオーストラリアまでの単独飛行を成功させ、オーストラリアの英雄的パイロットで、彼の名前は今もシドニー空港の愛称として知られている。

彼の飛行機に乗せてもらうなど交流を深めたJeanだが、翌1930年、母親と一緒にロンドンに旅し、ロンドンにある航空学校に入学する。
しかし、商業用のパイロットライセンスに満足しなかったJeanは、Charlesがしたのと同じように
単身オーストラリアへの飛行を思い立つ。

中古機(愛称:Gypsy Moth)で、飛行に挑戦したが、飛べたのはカラチまで。
2回目もやはりGypsy Mothで挑んだがローマで断念。

彼女の飛行が成功したのは3度目の挑戦、1934年の5月だった。
単身飛行を成功させただけではなく、それまでAmy Johnsonが持っていた
イギリス-オーストラリアの飛行記録を破ったことで、彼女は一躍、時の人となる。

しかし、それよりもニュージーランド人の心に最も印象深く心に残っているのが、
1936年10月に達成されたイギリス-ニュージーランドの単身飛行だった。
到着するJeanを一目見ようと6,000人を越える群集が、当時原っぱにすぎなかった
現在のオークランド空港の地に集まった。


14,224マイル、11日間と45分。
単身飛行の記録として、その後44年間破られることがなかった大記録である。


無線がなく、地図とコンパスと、そして自分の目が頼りの、極めてシンプルな
飛行であることを考えると、記録の前に、目的地に到着すること自体が
大変素晴らしいことであるのが分かる。

この他にもJeanは、イギリス-ブラジル(1935年、61時間と15分)
イギリス-オーストラリア(1936年 5日間と21時間)、
オーストラリア-イギリス(1937年 5日間と18時間15分)
といった単身飛行を成功させている。

第2次世界大戦中は、専ら赤十字活動に専念したが、
なぜか終戦以降も2度と、飛行機を操縦することはなかった。

イギリスをベースに世界各国で暮らしてきたJeanだが、1930年にニュージーランドを
後にして以来、ニュージーランドに住む事はなく、ニュージーランドで暮らしていた母親が他界した1965年が、最後のニュージーランド訪問となった。


生涯結婚することもなく、1982年11月22日 スペインのMajorca島でたったひとりぽっちで、寂しくこの世を去ったJeanの遺体は、貧民地区の墓に葬られ、その事実はその後5年間、誰も知らないままだった。

航空界に輝かしい記録を残し、ニュージーランドの人たちの心に残る人であったにも
関わらず、単身飛行と同じように、人生も最後まで一人だった。

彼女の功績を讃え、遺灰はオークランド空港に埋葬され、今、この空港のターミナルは
Jean Batten International Terminal と呼ばれている。

ターミナルの中には、彼女の著書 「Alone in the Sky」(1979年)
の中の文章が大きく掲げられている。
恥を忍んで、私流に訳してみる。
(原文は、ターミナル内の壁に大きく書かれているので、
すぐに見つけることが出来ます。)


「海を越えて、遥か遠き土地を目指す全ての飛行機乗りは、
男であれ、女であれ
その昔、まだ見ぬ土地を夢見て航海を続けた船乗りたちが抱いたのと
同じ炎を心の奥で燃やしている。」


スポンサーサイト

COMMENT

Comment Form


秘密にする
 

TRACKBACK

TrackBack List



プロフィール

Toshi

Author:Toshi
旅行の仕事で世界をまわるうちに、海外に住みたいという思いを募らせ、2001年に家族とともにNZに移住。ワーホリサポートエージェント勤務を経て、2005年独立してオークランド留学センターを設立。
海外添乗、海外移住、海外起業、、、、若い頃には思ってもなかった人生を歩んでいます。
海外でのビジネスは、山あり、谷ありだけど、家族や友人に支えられてまだまだ頑張ります☆
今年も「開花」を目指してポジティブに頑張ります。



最近の記事



最近のコメント



FC2ブックマークに追加する

FC2ブックマークに追加



FC2カウンター



月別アーカイブ



リンク

このブログをリンクに追加する



Twitter



ブログ内検索



RSSフィード



Copyright © NZの話 Late for the sky All Rights Reserved.
テンプレート配布者: サリイ   素材: ふるるか  ・・・ 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。