This Archive : 2007年12月14日
第2次大戦時の硫黄島総指揮官、栗林忠道について書かれたノンフィクション「散るぞ悲しき」を読み終え、深いため息の後、レンタルDVDで映画「硫黄島からの手紙」を見た。
書籍では栗林忠道が家族を思いやり、戦地から数多くの手紙を送っていたことを話のベースにして、彼の人柄、軍人としての偉業、そして硫黄島での戦いについて綴っています。徹底した取材や研究に基づき、硫黄島で戦った栗林という人間について深く探求しているため彼の他者に対する愛情をありありと感じとることができ、読み進むうちに、戦争のプロ=軍人の話でありながら、なぜか爽やかな心持ちになっていきました。
映画では、渡辺謙演じる栗林以外の一兵卒にも光を当て、彼らの戦地に送られてくるまでの背景や、家族にあてた手紙を中心に、硫黄島での戦争について描かれていました。渡辺謙があまりにもスマートに演じすぎているのと、複数の人間にスポットを当てているため、少し焦点がぼやけた感があったことが不満であったものの、戦争の話でありながら画面上には善悪を出さず、淡々と物語を進めていくところに、監督クリント・イーストウッドの感性を見たような気がしました。
本を読んでる最中から思っていたことだが、最近はすっかり手紙を書かなくなってしまった。
先日帰国した際に実家に立ち寄り、自分の所有物を整理した際、山のように手紙の束があった。小学生の頃から、結婚をして家を出るまでの間にもらった年賀状や絵葉書、手紙の数々。特に10代後半から20代中頃までの手紙が多く、それらを読み返すと、送った手紙に対する返信と思われるものや、旅先からの絵葉書、時候の挨拶状、仕事に対するお礼状、ラブレターと思しきものなど、ありとあらゆる内容で、いろんな人が手紙をくれていた。そして、もちろん自分もせっせと手紙を書いていたことを思い出した。
そう、携帯電話が普及するまでは、せっせと手紙を書いていたのだ。おそらく決定的に筆離れとなってしまったのは、インターネットの普及であろう。私自身、初めてe-mailを利用してから10年ちょっと。この間に自筆で書くといえば、年賀状などの挨拶状の端っこに書くコメントぐらいで、便箋に向かって長々と手紙を書くことはなくなってしまった。
山のような手紙の束の中に、12歳の私に向けて母が書いてくれた手紙があった。その手紙は、小学校6年生の時、クラスで毎月行われる誕生会で、「自分の子供にお祝いのコメントを」という担任の先生のリクエストに答える形で、母親が書き、先生がみんなに発表してくれたものだった。
妊娠から出産、病弱で2年の入院を強いられた幼少の頃の話から、病気を克服して元気に遊ぶ私に綴ってくれていた。結局その手紙は、13年前に脳卒中で他界した母が、唯一残してくれた私宛の手紙となり、そして宝物となっている。
クリスマスカードを書くシーズンだ。久しぶりにきっちりと自分の手で文字を書いてみようかな。
書籍では栗林忠道が家族を思いやり、戦地から数多くの手紙を送っていたことを話のベースにして、彼の人柄、軍人としての偉業、そして硫黄島での戦いについて綴っています。徹底した取材や研究に基づき、硫黄島で戦った栗林という人間について深く探求しているため彼の他者に対する愛情をありありと感じとることができ、読み進むうちに、戦争のプロ=軍人の話でありながら、なぜか爽やかな心持ちになっていきました。
映画では、渡辺謙演じる栗林以外の一兵卒にも光を当て、彼らの戦地に送られてくるまでの背景や、家族にあてた手紙を中心に、硫黄島での戦争について描かれていました。渡辺謙があまりにもスマートに演じすぎているのと、複数の人間にスポットを当てているため、少し焦点がぼやけた感があったことが不満であったものの、戦争の話でありながら画面上には善悪を出さず、淡々と物語を進めていくところに、監督クリント・イーストウッドの感性を見たような気がしました。
本を読んでる最中から思っていたことだが、最近はすっかり手紙を書かなくなってしまった。
先日帰国した際に実家に立ち寄り、自分の所有物を整理した際、山のように手紙の束があった。小学生の頃から、結婚をして家を出るまでの間にもらった年賀状や絵葉書、手紙の数々。特に10代後半から20代中頃までの手紙が多く、それらを読み返すと、送った手紙に対する返信と思われるものや、旅先からの絵葉書、時候の挨拶状、仕事に対するお礼状、ラブレターと思しきものなど、ありとあらゆる内容で、いろんな人が手紙をくれていた。そして、もちろん自分もせっせと手紙を書いていたことを思い出した。
そう、携帯電話が普及するまでは、せっせと手紙を書いていたのだ。おそらく決定的に筆離れとなってしまったのは、インターネットの普及であろう。私自身、初めてe-mailを利用してから10年ちょっと。この間に自筆で書くといえば、年賀状などの挨拶状の端っこに書くコメントぐらいで、便箋に向かって長々と手紙を書くことはなくなってしまった。
山のような手紙の束の中に、12歳の私に向けて母が書いてくれた手紙があった。その手紙は、小学校6年生の時、クラスで毎月行われる誕生会で、「自分の子供にお祝いのコメントを」という担任の先生のリクエストに答える形で、母親が書き、先生がみんなに発表してくれたものだった。
妊娠から出産、病弱で2年の入院を強いられた幼少の頃の話から、病気を克服して元気に遊ぶ私に綴ってくれていた。結局その手紙は、13年前に脳卒中で他界した母が、唯一残してくれた私宛の手紙となり、そして宝物となっている。
クリスマスカードを書くシーズンだ。久しぶりにきっちりと自分の手で文字を書いてみようかな。
散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道 (2005/07/28) 梯 久美子 商品詳細を見る |
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